桜は咲き 若人は巣立つ

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昨日15日の土曜日は、小雨混じりの肌寒い一日だったが、今日は一転して快晴!

このところのお天道さんはやや気まぐれで、その日その日の照り具合にムラがあって身体の調整機能も戸惑いがちである。

 

これまで遠慮がちに様子を窺っていた越後の桜も、満を持していたかのように見事に咲き誇っている。

日本人の普通の感性ならば、桜の花の持つ淡麗さ、潔さには一種独特の感慨を覚えるのではないだろうか。

“ 散る桜 残る桜も 散る桜 ”  (良寛)

“ 願わくば、花の下にて春死なん その如月の 望月のころ ” (西行)

西行の句の「花」は、梅か桜かの論争は残るようだが、冬の厳しさからようやく解放されて、温かな匂いの広がってくる春の季節の幸せ感がいっぱいに漂う。

 

ところで、この4月に新しい人生を歩み出した数多の若人は満開のこの桜をどんな気持ちで眺めているものだろうか。学生さんにしろ、新社会人にしろ、緊張の

続く日々で「桜どころではない・・・」のかも知れないが。

 

先日、上越新幹線の車両にこんなキャッチコピーを見つけた。

    東京に来た日

       よし 頑張るぞと

          一人で 乾杯した

                [ 東京新潟物語 吉乃川酒造 提供 ]

 

根っから都会の人にはピンと来ないだろうが、我々のように地方に生まれ育った者にはまことに心に染み入るフレーズである。

生まれ故郷を後にして、親元を離れて勇躍(?)都会生活を新たに始めようとする学生、あるいは社会人の心情を心憎いまでに微妙に表現していると痛く感心した。

 

我が母校である慶応大学では、卒業50年の節目に当たる卒業生をその年の入学式に招待してくれるという良き慣例がある。

昭和42年(1967年)卒業の私も今年がそれに該当し、せっかくのワンチャンスなので先日参加してきた。

キャンパスの銀杏並木はほぼ当時の面影のままだったが、日吉の駅舎はすっかり

モダンに、そして雀荘が数多く並んでいた街並みは洒落たブティックやマンションに・・・、50年の歳月をまざまざと感じた。

難関を突破し、晴れの入学式を迎えた眩しいばかりの新入生を目の当たりにするにつけ、50年前のかすかな記憶を辿りつつ生々流転の心境に至り、貴重な一日だたった。

 

勢い込んでスタートした若者だが、人生は甘くない。

落ち込んだり、出口の見当たらない苦境に出会うこともあるだろう。

その一つひとつを乗り越えながら、今日の桜のように毎年の春を重ねていってもらいたいものだ。

2月下旬、事前のキャンペーンもろくに無いままに始まった「プレミアムフライデー(プレ金)」。 

労働生産性を上げて早く仕事を終わらせようという働き方改革の一環のようだが、どうも感心しないな。

月末の金曜日は、仕事を早めに切り上げて午後3時を目途に退社して、買い物なり家族サービスなりに普段とは一味違う過ごし方をしよう、がむしゃらに働いているばかりが能じゃないよ・・・・と、国からのお達し。

ここまでご親切にお世話を焼いてくれる政府のご配慮には感謝した方がいいのかも知れないが、どうも「余計なお世話」のような気がする。

 

そもそも、小生のような「半分隠居さん」みたいな立場の人間には、別に金曜だろうが月曜だろうが、いつでもプレミアムはエンジョイ出来るのだが、日本経済を支えている地方の隅々に至る中小企業でそんな呑気なことがまかり通るのかどうか?

お得意先へ及ぶであろう迷惑を顧みず「はい、今日は3時でスイマセン」と突っ張り切れば話は別だが、現在の様々な取引慣習の中では、土台無理な話、絵空事に近いことと言わざるを得ない。

 

考えてみれば、このプレ金なるもの、実施に当たって政府の腹は殆ど痛まない。

つまり国の持ち出しは一銭も無くて、消費を喚起し、労働者には「親切な顔」が

出来るわけだから気は楽なものだ。

旗振り役の経済産業省では世耕大臣が早々と2時過ぎに退庁し、都内の百貨店屋上に特設されたカーリング場でプレーしながらPRに努めていた。

安倍首相は、東京谷中の「全生庵」で座禅を組んだのち、上野公園でミニコンサートや美術館をはしごするという念入りぶり。

国民のうちのどれだけの人が、共感をもってこうした光景を見たものだろうか?

 

 

それから1ヶ月。

先週の3月31日に2回目を迎えた「プレ金」だが、早くも失速気味の気配が濃厚である。

たまたま年度末の最終日と重なったせいもあるだろうが、2月の時のような鳴り物入りではなく、盛り上がりの無いまま淡々と通り過ぎた感じである。

 

消費喚起とは言いながら賃金の上昇を伴うわけではないので、仮に多少のプレ金効果があったとしても、実態は他の日の買い物や消費の先食いだろうし、何よりもその時間を楽しむ人が居れば、片方ではそのためのサービスを提供するために働く人が必要なわけで、光と影が混在することになる。

 

 

今から40年以上も昔、ヨーロッパに駐在していたときにビックリしたのは、

日曜日になると公共機関はもちろんだがデパートとかあらゆるお店が閉店になって、買い物ひとつするにも不自由したことである。

日曜日は安息の日として、家族とゆっくり過ごす・・、この徹底ぶりには国民性の違いとかを超越して感心してしまった。

 

プレ金とかいうチマチマした旗を振るのもいいが、大きなうねりにするためにはもっと本質的なところから根こそぎ変えなければ日本人社会のライフスタイルの変化にはつながらないと思う。

一年も経つと、「プレ金・・? そういえばそんな言葉もあったかな・・」という

線香花火になってしまうのではないかと余計な心配もしている。

 

 

 

 

 

皆さんはコンビニをどのくらいの頻度で愛用されていますかね?

「3食ともお世話になっています!」というような極端な人は例外としても、1週間に一度も利用したことがないという人も珍しいご時世ではないでしょうか。

24時間、街の明かりを灯し続け、全国に5万5千店もの面が網の目のように張り巡らせたコンビニは今や社会的インフラのひとつとして我々の日々の生活の営みに無くてはならない存在となっています。

 

日本にコンビニが誕生したのは今から40年ちょっと前、1974年5月に東京・豊洲にセブンイレブンの1号店がオープンしました。

山本さんという若いオーナー(当時24歳)が、お父さんから継いだ66平方メートルの酒屋さんを改装しての開店でした。

扱う品目は約2000品目(現在より3割ほど少ない)で、当時一番売れたのは缶詰だったそうですが、独身の男性が惣菜代わりに愛用したようです。

 

それ以降、ファミリーマート、ローソンなども追随しコンビニの存在感が一気に増したことはご承知のとおりです。

コンビニの元祖アメリカでは、ガソリンスタンドに併設された小型店舗スタイルが伝統的ですが、日本のように市街地に複数の店が密集するような形の例はなく、今や日本は世界に冠たる「コンビニ大国」となりました。

 

店舗数が5万5千店というのは先ほど述べたとおりですが、全店舗を合計した1ヶ月の数字で言うと来客の数が13億~14億人(中国の人口並ですね)、売り上げだと8000億円~9000億円(1ヶ月ですよ!)、途方もない数字でこれはもうマンモスの世界です。

 

ボリューム(数)もさることながら、私が感心するのはその業態の変遷ぶりです。

単に生活上の身の回り品の小売だけでなく、24時間営業の特質を活かして 公共料金の収納、銀行ATMの設置、住民票の発行などのサービスを競うようにして拡げ、災害時には食品の緊急供給網の拠点の役割を果たすなどライフラインとしての役割も見逃せません。

近年では高齢者の増加に対応した宅配サービスも手掛け、現代の「御用聞き」 として新たな需要の開拓にも余念がありません。

往年の名画「山猫」のシーンで、主演のバートランカスターのセリフ「変わらずに生き残るためには、自ら変わらなければならない」が彷彿されます。

 

しかし物事には「光と影」が在るのも事実です。

コンビニの貪欲なまでの成長は、昔から町内で顔馴染みだった本屋、煙草屋、魚屋、八百屋など多くの個人商店を淘汰していく過程でもありました。

「コンビニ」の意の如く「利便性」の広がりは、同時に日本人の良き風習でもあった「家」とか「家族」というものの求心力が薄れていく軌跡とも重なるように思います。

コンビニのあの眩いばかりの煌々(こうこう)とした明るさ、一方で揺らぎつつある家庭の絆・・・、現代日本の象徴的な縮図のひとつです。

 

 

明日1月20日は、世界中の注目を集めながらのアメリカ新大統領の就任式である。

就任に当たって通常ならご祝儀相場をいただける支持率は過去最低の40%ギリギリ、就任式に訪れる人の数はオバマさん(180万人)の半分以下の70~90万人、街頭では幾つかの抗議デモも見込まれるなど、祝賀ムードとはほど遠い雰囲気である。

普通の神経の持ち主なら就任前からめげてしまいそうな雲行きだが、お得意のツイッターで吠えまくり、「敵は100万ありとても・・・」の強心臓で船出するトランプさんの心境や如何に?

 

この過激な言動を繰り返す、政治・行政未経験の70歳代の御仁が、世界のリーダーたるアメリカ大統領として明日の日を迎えるとは誰が想像出来ただろうか。

「何をしでかすか予測できない」スタイルが選挙ではうまくいったことは確かである。

 

奔放な言動がある種の人気の源となり、アメリカ国民の一部には「正直で率直な大統領が誕生する」との歓迎の声もあるようだが、地球規模でいえば「固唾を飲んで」「息をひそめて」今後の成り行きを注視しているというのが現実だろう。

 

しかし、一年を超える長丁場の大統領選挙を、序盤の「泡まつ候補」扱いだったトランプ氏が、結果的に勝利を収めたのも間違いない事実である。

単なる暴れ者、金儲けだけではない、何がしかの秘めたDNAが存在するであろうことも見逃さないようにする必要があるだろう。

 

トランプさんが経営する企業で、長年身近なところで仕えてきた70代の女性の話が印象深い。

彼女に拠ると、「彼(トランプ氏)は、部下からの業務報告を受けた際、AからZまでの全体像を数秒で理解し、大きな絵を描くことが得意だった」、「理屈と直感を兼ね備えた稀有な経営者だった」とのことである。

その一方では、「利害が対立したビジネス相手からの攻撃には、倍返しの反撃をし、多くの敵を作っていた」ということで、まさに今我々が目にしている彼そのものである。

彼は自伝の中でも「狙いを高く定め、求めるものを手に入れるまで押して押して押しまくる」と自ら表現しており、なかなか始末に負えない手合いといえる。

 

とにもかくにも、明日からは晴れてアメリカ合衆国第45代の大統領である。

「米国第一」の旗を掲げて、トランプ政治が海図なきまま国際社会にデビューすることになり、「多くの劇的な変化」が待ち受けていることは確かであろう。

 

その成り行きと結果は「吉」と出るか、「凶」と出るか・・・?

我が隣組の親方である習近平さんと、金正恩さんの胸中と併せ、目をこらしながら新大統領の振る舞いを凝視したい。

それにしても・・・・、安倍晋三さんも大変だ!

終戦から半年、戦後の混乱も未だ色濃く残っていたであろう昭和21年2月に柏陽鋼機が創業し、今年で70周年を迎えることは弊社のHPそして若手社員のブログなどを通じてご承知の方も多いかと思います。

 

70周年という大きな節目を迎えるにあたり、記念事業として何がいいのかを全社員で考えてきました。

記念誌の作成、普段お世話になっている関係者の皆さんをお招きしての感謝の集い、あるいは久しぶりの社員旅行・・・などなどいろんなアイディアが出され、昨年から逐次展開中です。

 

だが、良く考えてみると・・・・。

どの事業も「過去を振り返ったり、感謝したり」、「おめでとう、良かったね」という雰囲気一色の感じです。

それはそれでいいのですが、何かちょっと物足りない、欠けていないだろうか。

70周年のキャッチフコピーは「THANKS &  NEXT」、つまり「感謝」の気持ちに併せて「次なる未来へ」の志向との両面で一対になっているわけです。

 

そうか! 会社の未来・・・、それはとりもなおさず会社の長期計画を考えてみることだなとある日突然に覚醒。

かくして70周年記念事業の一つに「柏陽鋼機・長期(10年)経営計画の策定」という項目がやや無理矢理に押し込まれたという次第です。

記念事業として「公約」された以上は挫折や撤退はご法度で、これはもうやるしかありません。

あまり乗り気でもなさそうにして斜めに構えた社員の白い眼を横目で見ながら、昨年の後半から作業に着手。

途中幾たびかの試行錯誤や七転八倒をはさみながらも、このほどようやく完成してやれやれの気分です。

 

一年先のことでさえ確たることは掴めないのに、10年先のことを考えて一体

どうなるの・・・と、まことにごもっともな指摘であります。

突然に降って湧いたような英国のEU離脱問題、このことを一つ取っても予見し難かったことですし、経済環境に少なからぬ影響も及ぼすことは請負です。

 

然しながら、全社員で会社の将来に想いを馳せて、無い知恵を絞りながらも

一生懸命に考えてみる、そこに普段とは違う力学が働いて社内にある種の化学

反応を引き起こす・・、いわば狂気の中から正道を探し求めるという熱気を社内にもたらすことも時には必要ではないでしょうか。

 

作成した長期(10年)経営計画書は、名付けて「NEXT80」。

そのキャッチフレーズは「100周年の基礎を築く ~未来に襷(たすき)を繋ぐその一歩~」です。

まあ他人様が聞くと「何と大仰な・・・」と思われるでしょうが、当事者は

結構本気だったのです。

 

明日7月2日(土)は、弊社恒例の新年度に向けての「経営方針発表会」が

実施されます。

ホテルの大会議室を借り切って朝の8時から夕方の7時まで、全社員の出席のもとに過去の一年間を検証すると共に、新しく始まる次の一年の行動計画を具体的に語り合う一大イベントです。

今年で8回目となりますが、今年はその席で「NEXT80」のお披露目も行うという趣向です。

 

こうしたささやかな積み重ねの遥か行く先に、100周年の一里塚がいつかはきっと見えてくるだろうと信じつつ、柏陽鋼機の長く終わりの無い旅がこれからも続いていきます。

 

 

 

 

THANKS & NEXT (感謝、そして次なる未来へ)・・・、これから来年にかけて当社がいろんな場面で使用するキャッチコピーです。当社の社員こぞっての気持ちを端的に表現しているなかなかのコピーだと自賛しているのですが、どんなものでしょうか?

 

人間でも企業でも、長い歴史・歩みの過程においては大きく揺れ動き、躍動する時代に遭遇することがありますが、ここ1~2年の当社はまさにそれに匹敵する大きな変革期であるように感じます。

 

  •  2年前に社長を交代しました。
  •  鋼材加工部門をさらに強化するため、加工関連子会社である(株)レーザ

  ック柏陽の工場を増設し、最新鋭の機械も導入するなど4億を超える投資

  を実施し、昨年11月に「鋼材加工センター」として装い新たにスタート

  しました。

  •  (株)レーザック柏陽を合併統合し、一回り大きくなった柏陽鋼機として

 昨日月日からスタートしました。

  •  昭和21年2月に創業した当社は、来年平成28年に70周年を迎えること

  になります。

 

・・・ということで、やたらと忙しい日々を繰り返した最近ですが、予定通りに昨日をもってレーザック柏陽との合併を果たすことが出来て、やや一息です。

 

平成3年は今から振り返ってみるとちょうどバブルの崩壊期で、相当に厳しい環境でした。

そんな逆風に遭うともつゆ知らず、当社の加工部門としての期待を担ってレーザック柏陽が意気揚々とデビューしたのがその年です。

以来24年の時間経過の中を幸いにも生き長らえて、結果的には無借金、振出手形もなし、ともすると親会社の柏陽鋼機よりも逞しく成長した姿で今回の

合併を迎えることになった次第です。

 

7月から柏陽鋼機は第74期をスターしました。

鋼材の定尺素材の販売、そしてあらゆる形での1次加工も出来るという複合形態の特約店としてこれからの時代に立ち向かっていく体制が整いました。

明後日7月4日(土)には全社員が朝8時から夕方7時前後まで、市内の某ホテルに缶詰めになっての「74期経営方針発表会」に臨みます。

70年の歴史に感謝し、次なる未来へ確かな目標を掲げて、60名の社員が行う高らかなる咆哮を皆さんにも聞いていただきたいなと思うのですが、それは無理ですよね。

来週月曜日に、次回「会長のつぶやき」として多少なりの現場レポートをさせていただくことでそれに代えることといたします。

 

追記 : 当社のホームページに「会長のつぶやき」なる特別席を設けてもら

     ったのに、実に一年余りも放置しっ放しで面目ありません。

     健康を害していたわけでもなんでもなく、単なるさぼりでした。

     大いに反省して、今回以降は精励いたしますので、時々覗いてみて

     ください。

 

               会長 西川 正純 

 

春4月、万物躍動の季節ですね!

今週の初めに上京しましたが、桜はやや散り始めの感じで、「花の命は短くて・・・」の風情でした。

我が越後では、まもなく満開の時期を迎えます。

毎朝6時過ぎから愛犬の散歩に出かけるのですが、散歩コースの一つが「赤坂山公園」で、ここは柏崎の桜の名所。

朝もやの中では人の気配もまばらでしたが、花見客を迎える雪洞(ぼんぼり)が林立し、食物の屋台も幌を被って待機し、この週末は大勢の人出で賑わうことでしょう。

 

 

桜の一種である「ヒカンザクラ」は、奄美・沖縄地方では1月中旬に咲くそうですが、これは別格ですよね。

なじみ深い「ソメイヨシノ」で言うと、3月の中旬に四国の高知や九州地方を旅立って徐々に北上し、打ち上げとなる北海道では5月の連休明けの頃といいますから延べで2カ月近いロングラン興業を続けることになります。

しばらく前の日経新聞に「日本列島が南北に長くて良かった。これが東西に横に長いようではこの桜前線の移りゆく光景は味わえなかったろうから」という

意味のコラムが載っていましたが、まさに実感しますね。

良寛の作と云われる「散る桜、残る桜も散る桜」、桜の花と日本人の心情は遥か古からピッタリと寄り添っていたようです。

 

 

今春、当社に実に5名もの新入社員が加わりました。

当社のような30~40名程度の規模での事業所としては異例の大部隊の新規戦力です。

慣れない社会人生活をスタートした彼らは、戸惑いと気疲れの中で連日の「研修漬け」になっていますが、日一日と自分のペースを掴みつつあるようにも見えます。桜の季節にデビューした彼らも、紅葉が映える時節にはきっと「昔から居たような顔」をして逞しく動き回っていることでしょう。

 

 

この5名とは別に、昨年の暮れから今年の初めにかけて他にも4名の新人を迎えていますので、ごく短期間に合計9名もの新戦力が合流したことになります。(関連会社のレーザック柏陽も含めてですが)。

9名の平均年齢は24.2歳! 輝くばかりの若さです!

 

いずれ近いうちに公表させていただきますが、当社は今年かなりの新規設備投資を行います。

前回の「つぶやき」にも書きましたが、社長の交代を手始めとして柏陽鋼機の新しい時代を築くべく会社を挙げて取り組み中です。

新しい革袋に盛られようとしているお酒が2年後の創業70周年、そしてゆくゆくの100周年に向けて程よく発酵するようにと「エンジン全開中」です。

爽やかなこの季節の空気を胸いっぱいに吸いながら・・・・・。

 

 会長 西川 正純

 

弥生3月を迎え、越後にもようやく春の兆しがそこかしこに感じられるようになりました。

社員からの「休暇願い」の申請書を見ても、事由の欄には子供さんの卒業式とか書いてあるのが目立ち、巣立ちの息吹きが漂っています。

万物躍動の季節・・・・!

70歳に達し、やや感性の鈍くなってきた小生にとっても、心浮き立つ、いい季節です。

 

ところで、半年も経ってからのご挨拶でまことに「恥ずかしながら」ではありますが、昨年の9月に当社の社長職をバトンタッチいたしました。

後任は、当社で30有余年勤務し、経営マインドも充分に成長してくれた佐藤専務が新しい社長として就任いたしました。

57歳、ゴルフの腕前も相当なものですが、会社の舵取りもシングル級を目指して日々刻苦

勉励しておりますので、小生は安堵感を持ちながら窓際に座って、これまでとは違う目で会社の状況を遠望しているところです。

 

考えてみれば、企業にとって(特に中小企業の場合には)「事業承継・後継者問題」は事業の存続ともからむ最大の「リスク管理」と言っても過言ではないように思います。

全国企業の68.5%、つまり3分の2は後継者不在(未定・未詳を含む)というから、これはただごとではありません。

特に最近は団塊の世代の高齢化が進み、後継者不足が深刻になりつつありますが、単に個別企業の問題ではなく一種の社会問題であり、日本の国の将来の活力にも関わってくる大きな事象であるとも言えます。

 

企業の終焉で最も多いパターンは言うまでもなく「倒産」ですが、その次に位置するのが「経営者の病気・死亡」を主因とするケースだということはあまり知られていないのではないでしょうか? しかも、その傾向が増加気味だということです。

誰しもが「今日と同じ明日がある」と思いがちですが、突然の経営者不在によって企業の存続が怪しくなるようでは本人はもちろんのこと従業員にとっても大きな不幸であり、また企業の社会的使命にも反することになります。

 

幸いにして自分自身は至って健康ではありますが、元気でパワーもそこそこ残っているうちに「たすきを渡して」こそ望ましい事業承継と判断し、今回のバトンタッチに至ったものです。

 

金融機関や仕入れ先の方々にはかなり唐突な出来事であり、一時的ないぶかしさを与えてしまったかも知れませんが、社内の従業員が冷静に受け止め、あまり違和感を感じなかったのは意外でもあり、同時にホッとしたところです。

 

指揮者が変わればオーケストラの音色も変わってくるでしょう。

2年後に迎える当社の70周年、さらにはその先の100周年さえも見据えて、佐藤・新社長のもとに社員全員が逞しく前進を始めていますので、乞うご期待!

 

会長 西川 正純 

 

先ずは やってみよう

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謹賀新年のスタンプを捺した分厚い名刺の束を持って飛び歩いているうちに、あっという間に1月が過ぎ行き、早くも2月・如月を迎えてしまいました。 

従って、ちょっとネタが古くなってしまったのですが・・・・。

 

当社も今回の年末年始は9日間もの異例の長期休暇をエンジョイさせてもらい、1月6日から「営業再開」となりました。

「仕事始め」には関連会社のレーザック柏陽の社員も含めて総勢50名余が勢ぞろいし、

社長以下の年頭の決意と激励を受けるところはどの会社も似たような光景だろうと思います。

 

その仕事始めの日に、私自身の役割として恒例にしていることは、社員に向けての「ワンフレーズ、キャッチコピー」を正月の休暇中に毛筆で書いて、それを皆に披露し、年間を通じて社内に掲示しておくというものです。

もうかれこれ10年近く続けておりますが・・・・。

 

今回のつぶやきのタイトル「先ずは やってみよう」、これが今年の目標フレーズです。

因みに、最近の幾つかのフレーズをご紹介すると、以下のようなものがあります。

 

    「 自分なら こうする 」

    「 外に 出よ 」

    「 もう一歩 踏み込んで 」

    「 ものごとを あいまいにしない 」

 

いずれもワンフレーズで、その意味するところは解説抜きでも充分でしょう。

 

さて、今年の目標である「先ずは やってみよう」・・・・。

何ごとも、具体的な行動を起こしてこそ、ことの成否の判断も出来るし、良し悪しの判断にも辿り着くことが出来るわけで、頭の中でこね回している限りでは何の解決にもつながらないと思うのです。

 

正月の何かの新聞で読んだ記憶があるのですが、「根拠のない願望でも、口に出してみると、思考が回り始める」と。

 

下手な自尊心やプライドは脇に置いといて、先ずはやってみることにしましょう。

小さな失敗の積み重ねも、いつかは大きな成功の基になるに違いありません。

 

 

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当社のHPがこのたびリニューアルされました。

社内の若手中心に研究を重ねてきたものですが、出来栄えはいかがでしょうか?

 

また、長らく途絶えていた「社長のつぶやき」を再開させていただきます。

文字通り「先ずは やってみよう」との気持ちで再スタートです。

 

つぶやきを中断しているうちに、小生の肩書きも社長から会長に変更となってしまい、つながりが何か分かり難くなってしまったことを申し訳なく、お詫びいたします。

 

これからは、「会長のつぶやき」として、改めてよろしくお願いいたします。

 

会長 西川 正純 

 

 

 

大人も子供も、何となく心浮き浮き、ゴールデンウイークが目前です。

我が故郷の越後の野山も日増しに緑が濃くなり、爽やかな潮風が頬を撫でていきます。

大雪と格闘していた冬の悩みもどこへやら、自然の営みは正確に時を刻んでいることを実感しています。

 

ちょうど3ヶ月後の7月26日は、柏崎の年間行事の中でも五つ星である、「ぎおん柏崎祭り、海上花火大会」が行なわれる日です。

今回のつぶやきは、地元のPRを兼ねてお国自慢を少々・・・・。

 

「ぎおん(祇園)祭り」は、その名前のとおり当地の八坂神社に由来を発しています。

明治初年の八坂神社講中の記録に花火奉納のことが書かれているとのことですし、さらには江戸時代に桑名藩の飛び地領地であった当地陣屋の役人から花火について教わったとの伝承もあります。

さらには、八坂神社界隈が柏崎唯一の花街として栄えていたので、信仰と宣伝をかねた花火の打ち上げに異常な努力を払ってきたという事情もあるようです。

                (昭和32年発刊 山田良平著 「柏崎歳時記」より)

 

まつりの歴史的な経緯はともかく、さて本題の「海上花火」です。

 

夏の祭りを彩る花火大会は全国に数多くありますが、新潟県では近年「越後三大花火」と称する「川の花火-長岡」、「山の花火-片貝」、そして「海の花火-柏崎」が内外の

注目を集めています。

それぞれの地形を活かし、ある意味ではお互いに競い合いながら個性あふれる演出や心意気で頑張っているのは嬉しい限りです。

 

舞台は180度のワイドに広がる海面すべて、漆黒の日本海がより一層に花火の色合いを浮き立たせます。

しかも、目の前の至近距離にある防波堤が打ち上げ拠点で、花火の破裂音がヅシンと直にお腹に響きます。

 

 

平成12年に柏崎市は市政施行60周年を迎えました。

節目の年のお祝いにいろんな記念行事が行なわれましたが、そのひとつとして花火大会のフィナーレに「尺玉の600連発」なる超目玉商品を企画したのです。

当初は、市政の60周年にちなんで尺玉60連発を考えていたのですが、小千谷片貝の花火師の本田さんから「どうせやるなら、ギネスものの600連発にしませんか」とささやかれたのがそもそもの発端でした。

 

尺玉の600連発!・・・・、 想像出来ますか?

通常のスターマインですと、打ち上げ時間は概ね1分半です。

それが尺玉の600連発だとどうなるか?

延々と12分間に亘って、これでもか、これでもかと言う感じで打ち上げが続くことになります。

 

当初は、あくまで節目の年の記念行事のつもりで1年こっきりとする予定でした。

ところが偶々この年の花火を見た人にとっては度肝を抜かれると同時に、これが柏崎の花火の「定番」だと思われて翌年にも大きな期待が寄せられてしまい、止めるに止められなくなってしまった、というのが舞台裏の話です。

 

さすがに「600連発」だけはこの年限りとさせてもらいましたが、ハーフサイズの「300連発」としてずっと継続されるとともに、「3尺玉2発同時打ち上げ」だの「尺玉100発同時打ち上げ」だのといった新しいメニューも加わり、今や柏崎の海上花火はメジャー級に育ってきたと言っても過言ではありません。

 

花火としては全国ブランドの長岡あるいは秋田県大曲の方々もご招待して見ていただいたことがあります。

皆さんが、お世辞抜きに「これは、凄い!」と感嘆されていたのが印象的でした。

 

夜空の日本海を怒涛の如く圧する柏崎の海上花火大会に、是非一度おでかけください。

満足度100%で堪能していただけること請け合いです!

 

 


 

 

4月の中旬に書く予定の「つぶやき」が、なかなか筆が進まず今日に至りました。

次回は、5月の連休明けを目途に「フクシマを考える(3) ~ますます混迷を深める

今夏の電力事情(仮題))」を予定しています。

 

到来した佳き季節、どうぞ楽しい連休をお過ごし下さい。 

 

社長 西川 正純