2011年10月アーカイブ

 

2週間後の10月30日(日)16時過ぎ、新潟空港から晩秋の夕暮れ空に向けてカラフルな飛行機が飛び立つ。

静岡に拠点を置く航空会社「フジドリームエアラインズ(FDA)」が、新潟‐福岡間に新規路線を開設し、その第1便の就航である。

 

大手航空会社が不採算路線から次々と撤退したり、あるいは経済の低迷ぶりを反映して外国との路線も運休になったり、地方空港の苦難が続いている。

新潟空港も例外ではなく、「売り物」のロシア・ウラジオストックやハバロフスクへの直行便が減便、運休の憂き目に会い関係者が躍起になっている。

そうした最中に、JALが撤退した福岡線を復活する形でのFDAの新たな就航は、新潟県にとって救世主の思いだろう。

 

FDAの母体は、静岡市清水区(かっての清水市)に本社のある「鈴与」という会社であるが、同社の歴史は長い。

徳川家康は、大阪夏の陣の勝利に貢献したとして清水湊の廻船問屋42軒に特許を与えたが、時代が下って十一代将軍家斉の治世の亨和元年(1801年)、鈴与の初代与平がこの問屋の1軒から問屋株を譲り受け、播磨屋与平の屋号で開業したことが源流であるから、今年でちょうど210年を数える。

港湾物流、建設、ガソリンスタンド、食品会社、サッカー「清水エスパルス」のスポンサー・・・等々、数多のグループ会社と従業員1万人をかかえる老舗優良企業である。

その鈴与が、3年前に航空会社まで立ち上げてしまったのである。

 

富士山静岡空港が開港したのは、平成21年6月、その1年後には日本で最後の空港と言われる茨城空港が続いたので、日本で2番目に遅い(新しい)飛行場となる。

静岡といい、茨城といい、いずれも首都圏に極めて近い位置にあり、そんなところに空港が必要かと思われるが、それだけに飛行場の建設にあたってはその是非をめぐって県民の大きな議論があったものと推察される。

ともあれ、知事の強い思い入れで開港までこぎつけたが、問題はその空港をどうやって多数の人から利用してもらうか、そのための飛行機の路線をどうやって確保するか、そこが大きな壁となることは容易に推察がつく。

 

そこで立ち上がったのが「鈴与」。

“ せっかく県が飛行場を作ったのに、その利用促進を図るのは地元経済界の大きな役目ではないか ”と。

まあ、ここまでは「その心意気や良し!」だと思うが、実際に自ら航空会社を立ち上げて新規に飛行機を飛ばそうというのだから、これには度肝を抜かれた。

かって、NHKの人気番組に「プロジェクトX ~挑戦者たち~」があったことは多くの方がご記憶だろう。

平成12年から5年半に亘って合計191本の放映がなされた。

中島みゆきのテーマソング「地上の星」、司会者の国井雅比古の独特の語り口・・・。

まさに鈴与の「挑戦」は、「今様のプロジェクトX」だなと、一人感嘆している。

 

鈴与の8代目社長の鈴木与平君とは、私がかって勤務していた日本郵船の同期生であり、今でも年に1~2度の交流会を続けている。

10月15日(土)付けの新潟日報に鈴木社長のインタビュー記事が大きく載っていたが、その中で彼が述懐していた「日本の航空事業は大都市優先で、地方間の路線は付け足しのようなものだ。地方同士が交流を盛んにし、新しい文化を作るための懸け橋としてこの事業を立ち上げた」という「挑戦の志」が、大きく実を結ぶよう、友人の一人として新潟の地からささやかでもエールを送りたい。

 


 

「つぶやき」の第2弾をようやく書き上げました。

断続的な掲載は、しんどいような、一方で自分の頭の「棚卸し」にもなるような・・・。

 

次回は、10月下旬に「(仮)このやっかいな隣人、北朝鮮」を予定しています。

 

社長 西川正純 

  

当社のホームページのトップには「鉄は面白い」というタイトルがついている。
文法上は、まことに奇妙な表現であるが、何故か人目を引き、言葉の意味するところは何となく受けてとめていただいているように思う。

元素番号Fe、原子番号26という符号のつけられている「鉄」の歴史は古い。

資料によれば、おそらく青銅器時代(すなわち紀元前3000年~3500年頃)に、焚き火や山火事のあと、その灰の中に鉄片が見つけ出され、偶然に鉄の有用性が知られたのではないかという。その後、紀元前20世紀頃にはアナトリアにおいて製鉄技術が普及し始め、紀元前18世紀頃のヒッタイト人によって生活の中の道具の材料として鉄が身近なものになってきた。

 

日本では、紀元前3世紀頃に大陸から伝わってきたが、当初は輸入に頼るのみで、5世紀頃に至ってようやく出雲や九州の地で「たたら吹き」という技法で製鉄が始められた。

我がふるさと柏崎に「フロンティアパーク」なる超近代的な産業団地がある。
団地の造成工事の際に、そこの丘陵地に遺跡が発掘されたため関係者は工事スケジュールに随分難渋した。遺跡の調査が進むにつれて丘陵地一帯が奈良時代から鎌倉時代にかけて(最長では400年にも亘って)製鉄コンビナートとして営まれていたことが判明した。しかも、原料の砂鉄から鉄の生産だけでなく、鉄を加工し、鉄製品の製造まで一貫した工程が認められるというから、これは歴史の貴重な足跡である。
当時の鉄づくりは膨大な労力を要したことから、その近辺には政治的な拠点が存在してであろうことも容易に推察される。
因みに、このフロンティアパーク内では東芝の新工場が今年の初めから稼働しており、電気自動車向け二次電池「SCiB」の量産で世界を席捲しようと目指しているので、たたら製鉄に励んでいた当時の住人もビックリだろう。 

家庭でも、オフィスでも、そして都会で見上げる高層ビルやスカイツリー・・・・等々、我々の生活の隅々に「鉄の効用」は行き渡っている。鉄は社会インフラを作り、文明を造り、歴史を創ってきた。
その「鉄」を、仕事上の生業として日々手がけている当社は、小なりと雖も社会インフラとつながり、文明の一端に関わり、歴史の創造のお手伝いをしている、とも言えよう。

「鉄は面白い!」、そのキャッチコピーを背中に、社員一同今日も元気に走り回っている。



当社のホームページのリニューアルに当たり、「社長のつぶやき」なるコーナーが設けられました。
初回は、鉄にまつわるやや固い話になってしまいましたが、今後はつれづれなるままに、様々な世相のことも取り入れながら肩のこらないメッセージを書き込んでいくつもりですので、ご愛読をよろしくお願いします。
次回は、10月中旬頃に「(仮題)今日的『プロジェクトX ~挑戦者たち~』“新潟の空を飛ぶ、新しい翼”」を予定しています。


社長 西川正純

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