当社のホームページのトップには「鉄は面白い」というタイトルがついている。
文法上は、まことに奇妙な表現であるが、何故か人目を引き、言葉の意味するところは何となく受けてとめていただいているように思う。
元素番号Fe、原子番号26という符号のつけられている「鉄」の歴史は古い。
資料によれば、おそらく青銅器時代(すなわち紀元前3000年~3500年頃)に、焚き火や山火事のあと、その灰の中に鉄片が見つけ出され、偶然に鉄の有用性が知られたのではないかという。その後、紀元前20世紀頃にはアナトリアにおいて製鉄技術が普及し始め、紀元前18世紀頃のヒッタイト人によって生活の中の道具の材料として鉄が身近なものになってきた。
日本では、紀元前3世紀頃に大陸から伝わってきたが、当初は輸入に頼るのみで、5世紀頃に至ってようやく出雲や九州の地で「たたら吹き」という技法で製鉄が始められた。
我がふるさと柏崎に「フロンティアパーク」なる超近代的な産業団地がある。
団地の造成工事の際に、そこの丘陵地に遺跡が発掘されたため関係者は工事スケジュールに随分難渋した。遺跡の調査が進むにつれて丘陵地一帯が奈良時代から鎌倉時代にかけて(最長では400年にも亘って)製鉄コンビナートとして営まれていたことが判明した。しかも、原料の砂鉄から鉄の生産だけでなく、鉄を加工し、鉄製品の製造まで一貫した工程が認められるというから、これは歴史の貴重な足跡である。
当時の鉄づくりは膨大な労力を要したことから、その近辺には政治的な拠点が存在してであろうことも容易に推察される。
因みに、このフロンティアパーク内では東芝の新工場が今年の初めから稼働しており、電気自動車向け二次電池「SCiB」の量産で世界を席捲しようと目指しているので、たたら製鉄に励んでいた当時の住人もビックリだろう。
家庭でも、オフィスでも、そして都会で見上げる高層ビルやスカイツリー・・・・等々、我々の生活の隅々に「鉄の効用」は行き渡っている。鉄は社会インフラを作り、文明を造り、歴史を創ってきた。
その「鉄」を、仕事上の生業として日々手がけている当社は、小なりと雖も社会インフラとつながり、文明の一端に関わり、歴史の創造のお手伝いをしている、とも言えよう。
「鉄は面白い!」、そのキャッチコピーを背中に、社員一同今日も元気に走り回っている。
当社のホームページのリニューアルに当たり、「社長のつぶやき」なるコーナーが設けられました。
初回は、鉄にまつわるやや固い話になってしまいましたが、今後はつれづれなるままに、様々な世相のことも取り入れながら肩のこらないメッセージを書き込んでいくつもりですので、ご愛読をよろしくお願いします。
次回は、10月中旬頃に「(仮題)今日的『プロジェクトX ~挑戦者たち~』“新潟の空を飛ぶ、新しい翼”」を予定しています。
社長 西川正純
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