先日、当社の社内旅行で九州は福岡まで足を伸ばしてきた。
9月23日付の「社長のつぶやき」で触れた新興航空会社FDAの新潟-福岡便に多少でも協力したい気持ちからの発案だったが、会社の旅行としては何と12年ぶり!
折からの金曜日の夜のこととて、博多中洲の夜は眩しく輝いていた。
それはともかくとして、太宰府や国立博物館を見学しながら感じたことのアラカルトを以下にいくつか。
この地は、都市としては2000年以上の歴史を有し、古くは「奴(な)の国」や「那の津」と呼ばれており、「博多」という地名も八世紀の奈良時代には登場していたという。
博多湾という天然の良港をかかえ、玄界灘を挟んで中国大陸や朝鮮半島と向かい合い、古くから大陸との門戸として栄える特異な地理的条件にあった。
アジアからヨーロッパにまたがる巨大な帝国を築いた元の皇帝フビライは、朝鮮半島の高麗を制圧した後、日本にも膝を屈して朝貢するようたびたび要求を続けた。
これを拒否し続ける日本に対し、1274年の「文永の役」では3万の軍勢、1281年の「弘安の役」では実に14万の大軍をもって博多湾に攻め込んだ。
名乗りを挙げての一騎打ちの戦法しか知らない日本軍がコテンパンにやられたのは当然だが、折からの暴風雨によって元の船団が壊滅状態となり、日本は九死に一生を得た。
この「神風」なかりせば、その後の日本の歴史、日本人のDNAは大きく変わっていたわけで、歴史に「if (イフ)」はないものの、空想の興味は尽きない。
成田からソウル、上海、台北までの所要時間は、それぞれ2時間半、3時間、3時間半だが、福岡からの時間距離は1時間20分、1時間半、2時間強に過ぎない。
また、お隣の下関と韓国釜山との間には「はまゆう」「星希」の日韓2隻のフェリーが
毎日往復をしている。
同じ日本でも、所が変われば対岸の景色が違うのである。
時折り見かけるが、世界地図を左に45度傾けると、日本が北に位置し、太平洋を真上に抱える形になる。
日本海は、日本と中国大陸とに挟まれた湖のような景観を呈し、また見方によっては、
日本列島の弓形の地が中国や韓国、そしてロシアの太平洋進出を阻む防波堤のような地形にも映って見える。
ではその逆に、右に45度傾けるとどうなるか。
日本列島は、ユーラシア大陸の下に、小さな口を開けたように鎮座する。
「世界地図の読み方」(講談社新書)の中で著者の高野孟によれば、大要次のような表現になる。
- ・・ 日本は、ユーラシア大陸という巨大なパチンコ台の【受け皿】のような位置に
あることが分かる。遠くローマからペルシャ、敦煌を経て長安に至り、そこから朝鮮半島伝いに日本列島のパチンコ台に。あるいは北のシベリアからバイカル湖周辺のツングース文化圏を経てアイヌの生活圏から日本へ。さらに別のルートとして、インドからミヤンマー、雲南を経て謎の西南シルクロードが日本列島の受け皿に流れ込んでくる・・・
いわば、東半球のさまざまな人々の数千年の営みが、その下の太平洋の底に落とし込まれてしまうのを掬い取るかのようなパチンコ台としての日本列島。
考えようによれば、外のモノを何でも受け入れて、それなりに仕立ててしまう日本という国の「雑居性」「多様性」も、こうした地政学的な位置づけに拠るところがあるのかも知れない。
思えば、基地問題に苦しめられている沖縄の人々の気持ちも、本当のところは沖縄の地でなければ理解出来ないのではないか。
遠くは琉球と呼ばれた平和な時代に、日本の薩摩藩、中国大陸そして台湾と、周囲にいくつもの異国を抱えていた、その特異な地政学上からもたらされる「呻吟(しんぎん)」に我々の気持ちはどれだけ寄り添えるものか、深く考えさせられる九州への小旅行だった。
つぶやきの「5号」です。
ちょっと旅に出ると、同じの日本の中からでも違う景色が見えるということがよく分かりました。
「3号」と「4号」で北朝鮮のことを書きましたが、昨日の金正日総書記の急死にはビックリしました。
しばらく様子を見た上で、「このやっかいな隣人 北朝鮮(3)」を書きたいと思います。
次号は、年末に「行く年、来る年」と題して載せようと意気込んでおります。
社長 西川 正純
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