2012年3月アーカイブ

 

今冬の大雪に泣かされた新潟にも、ようやく春の訪れが感じられるようになった。

卒業、入学、就職、転勤・・・、万物が躍動するこの時期に敢えて背を向けるかのように、昨26日の未明に当地の原子力発電所6号機が定期検査のため運転を停止した。

これで東京電力が保有する17基の原子力発電がすべて止まったことになる。

国内54基の原発で唯一稼働中の北海道電力泊原発の3号機も、青葉の薫る5月5日には定検入りが予定され、「原発ゼロ」の状態が現実のものとして迫ってくる。

 

「殆んどの原発が停止しているのに、日本の電気は何とかなっているじゃない。このまま原発なしでもやっていけるんじゃないか・・・?」、そういう声もきっと日増しに大きくなってくるだろう。

そうした意見が妥当なものか、原発ゼロが現実に可能なのか、ここは感情論を抜きにしてじっくり考えてみよう。

 

日本で初めて原発が稼動したのは1970年(昭和45年)で、かれこれ40年前である。

この40年の間に電力の供給力は225%も増加し、日本の国力、産業基盤を支える大きな原動力となった。

その電力供給量アップのうち40%以上が原子力発電であり、我々の今日の生活の豊かさを築いた礎とも言える。

仮に原発が全て止まるということになると、この40年間に増強してきた電力キャパの半分近くを放棄してしまうということでもあるから、これはただ事ではない。

 

原発による福島の被害は、我々の想像の域をはるかに超えて広範囲に、しかも長期的に及び、多くの住民の方々が毎日の生活を営んでいたところへの帰郷が叶うのかどうか、それさえも定かでない。

「命と経済とどっちが大事か」と迫られれば、言葉に窮してしまう。

そうした辛い現実を前にしては、もはやそこで思考停止になってしまいそうだが、もう一方の現実にも目を向け頭を巡らせてみたい。

 

日本の電力需給は、現在明らかに綱渡りの状態である。

 

「何とかなっている」のは、各企業が急場しのぎのためにと無理に無理を重ねる努力をし、各家庭においても涙ぐましい節電に励み、緊急避難的に辛うじてギリギリのバランスを保っているおかげである。

従って、無理を続けていればあちこちにしわ寄せが起き、きしみも生じる。

 

続出する原発の停止分をカバーするため、本来は引退も間近かだった老朽火力発電が急遽戦列に復帰。

当然のことながら効率の良くない電力を産み出しながら、何とか一時的に助っ人の役割りを担っているに過ぎない。

しかし電気の「量のカバー」には役立っているものの、火力発電が増えることによる燃料費の急増が座視出来ない状況になりつつある。

火力発電の燃料の大部分はLNG(液化天然ガス)だが、これは勿論すべて海外からの輸入。

おかげで燃料の輸入額が年間3兆円から4兆円も増えたと言うから何とも凄まじい。

急場しのぎのためには「金に糸目をつけないで」と頑張ってはいるものの、これが恒常的になってしまってはいわば「国富のたれ流し」となるわけで、いずれは我が国の財布も悲鳴をあげることは必定。

燃料費の増大が電気料にはね返り、コスト増に耐えかねた企業の海外脱出、国内の雇用や賃金にもマイナスの影響と、負の連鎖につながってくる。

 

福島の事故を目の辺りにすれば、誰しもが原子力から逃げ出したい気持ちになることは充分理解できる。

「原発ゼロ」での社会生活、経済活動が可能ならそれに越したことはないと私も観念的には思う。

しかし、原子力エネルギーを排除することによる影響、あるいは不確実性、さらにはリスク、そうした議論を省略しての「脱原発」では、これはこれで別の意味での危うさも

潜在するのではないだろうか。

 

日本の電力源として自然エネルギーにはどの程度まで依存が出来るのか、その場合の電気料へのはね返りや、実現への工程はどうなるのか。

そのときの日本経済への影響はどういう形で投影されてくるのか・・・などなど、数多くの未知の問いかけが我々に突きつけられている。

 

世の中の事象は単純に「白か黒か」だけでは割り切れない複合要素に包まれている。

原発に賛成か反対か、その二者択一論、二元論だけでは片付かない多元方程式で考えなければならない。

それだけに、未曾有の難局に臨んで国民が正しい判断をするための論点整理が是非とも

必要である。

 

今、一番避けなければならない事態は、国が何らの将来方向も出さない中で原子力は止まったまま、そして国民も企業もひたすらに節電だけ強いられて、ズルズルと経済が沈下していくことではないのか。

 

国民は、「決めることの出来る政治」を渇望しているはずである。

 

 

  


 

 

前回に続いて、「原子力」に関わる重たいテーマでした。

 

次回を書く頃には、寒かった日本列島にも桜前線が北上しているでしょう。

少し明るい話題でいきたいものです。

4月10日前後に「(仮題)圧巻!柏崎の海上花火は日本一」を予定しています。

 

社長 西川 正純    

  

 

前回の「つぶやき」を書いたのは1月下旬です。

次回は、2月の中旬に「(仮題)フクシマを考える」でと予告しながら、1ヶ月もずれ込んでしまいました。

今冬の大雪で取り紛れていた、と言うのは言い訳で、実はこの難解なテーマに向き合って立ち往生していたというのが正直なところです。

 

ご承知のように、柏崎は原子力発電所のある町です。

総発電量は約821万キロワット、規模において世界最大の原子力発電基地であり、東京都の電力需要のおおよそ3分の2を供給できると言えば分かりやすいでしょうか。

そうしたことからも「フクシマ」のことは他人事ではなく、連日のように報道される悲惨な様子を見るにつけても、いつかはこの「つぶやき」に取り上げるべきだと考えておりました。

 

あの大震災から一年が経ち、ボチボチかなとようやく重い腰を上げたものの、とてつもなく大きな命題にどこの切り口からアプローチしたらいいのか見当もつかず、出るのはため息ばかり・・・・。

そこで、自分の頭の整理の意味も込めて、いくつか思い浮かぶことを断片的に箇条書きにして「論点の整理」とするところから始めようと思います。

今回を「その-1」とし、今後も継続しながら少しづつでも山の頂に近づいていければと一歩を踏み出すことにします。

 

    


 

原発に対して怨嗟の声が高い中で、「それでも原発は必要ではないか・・」という姿勢を敢えて示すにはなかなか勇気が要る時代である。

福島県民の惨状を見るにつけ、私としても絶対の自信で言い切ることは出来ないが、世論が「脱原発」「嫌原発」一辺倒に傾斜してしまう危険性も同時に考えなければいけないと思う。

 

そんな視点に立ちながら、昨年来の「フクシマ」を巡る問題を私なりに整理してみたい。

 

  • 今回の事故は誰の責任か

 

原発の設置のためには、言うまでもなく事業者は国(経済産業省)の許可を取得しなければならない。因みに、「核原料物資、核燃料物資及び原子炉の規制に関する法律」という、いかにもいかめしい法律がその法的な根拠である。

それ以外にも設計上の構造や設備が原子炉による災害の防止に適していなければ設置許可はおりないし、運転開始前には溶接の不具合に至るまで大変詳細な検査をクリアーする必要がある。運転開始後の定期検査においても同様の関門があることは言うまでもない。

 

法的な規制はこれだけではない。

安全確保を担う機関としての原子力安全委員会の設置を定めた「委員会設置法」、

「原子力基本法」、あるいは災害時に備えた「原子力災害対策特別措置法」、「原子力損害の賠償に関する法律」・・・、数多の法制が設けられている。

ひとたび原子力災害が起こったときは、その被害や影響が甚大なものになるという前提に立ってのことである。

 

こうした厳しい制度に囲われながら、いわば国が自らの権限と責任の基で国民の安全を担保しながら原子力行政を司ってきたものと私は理解している。

 

勿論、事業者である東京電力には原発を直接手がけていた当事者として、国とは別の立場での大きな責任が所在する。

「安全神話」にただ身を委ねることなく、「電源や水源の多様化」、「原子力格納容器と建屋の強化」、「水素爆発を防ぐ水素再結合器の設置」など、さらに十重二十重の措置が取れなかったものか、事後の論理だけで片付けるにはあまりにも大きな代償であった。

今なお先の見通し難い福島第1原発の事故処理に引き続き命がけで当たる一方で、膨大な数の方々との損害賠償の話し合いがこれからも延々と続く。

その役割りは、やはり東京電力が担うしかない。一歩づつの匍匐前進を覚悟してことにあたってもらいたい。

 

話は戻るが、国の立場である。

電力事業者と二人三脚での原発への取り組みをしてきた政府は、本来であれば東京電力とともにその責めを負う立場だと思う。にもかかわらず、電力会社に向かってやや居丈高とも思える国の姿には大きな違和感がある。

 

今回の原発事故のそもそもの原因はどこにあったのか、その責任はどこに所在するのか、この「スタートライン」が今もって明白に共有されていないのではないか。そこをはっきりさせておかないと、これから様々に打たれる手も何となく接木細工のようにチグハグなものになりかねないと憂慮している。

 

      


 

「つぶやき」は、いたずらに冗長にならないようにと心がけていますが、ことが「原発」になると、短い言葉で簡潔にとはなかなかいかないものです。

 

やや仕切れトンボですが、今回はここで打ち止めにし、近日中に「その2」を続けることとします。

 

一昨日の国会で、枝野経済産業相が今夏の電力需給について「供給量の積み増しと、効果的な節電方法を詰めている。電力使用制限令や計画停電に至らずに乗り切りたい」と

答弁しましたが、やや希望的な観測に過ぎないのではないかと懸念しています。

 

社長 西川 正純   

  

 

 

  

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