2017年4月アーカイブ

桜は咲き 若人は巣立つ

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昨日15日の土曜日は、小雨混じりの肌寒い一日だったが、今日は一転して快晴!

このところのお天道さんはやや気まぐれで、その日その日の照り具合にムラがあって身体の調整機能も戸惑いがちである。

 

これまで遠慮がちに様子を窺っていた越後の桜も、満を持していたかのように見事に咲き誇っている。

日本人の普通の感性ならば、桜の花の持つ淡麗さ、潔さには一種独特の感慨を覚えるのではないだろうか。

“ 散る桜 残る桜も 散る桜 ”  (良寛)

“ 願わくば、花の下にて春死なん その如月の 望月のころ ” (西行)

西行の句の「花」は、梅か桜かの論争は残るようだが、冬の厳しさからようやく解放されて、温かな匂いの広がってくる春の季節の幸せ感がいっぱいに漂う。

 

ところで、この4月に新しい人生を歩み出した数多の若人は満開のこの桜をどんな気持ちで眺めているものだろうか。学生さんにしろ、新社会人にしろ、緊張の

続く日々で「桜どころではない・・・」のかも知れないが。

 

先日、上越新幹線の車両にこんなキャッチコピーを見つけた。

    東京に来た日

       よし 頑張るぞと

          一人で 乾杯した

                [ 東京新潟物語 吉乃川酒造 提供 ]

 

根っから都会の人にはピンと来ないだろうが、我々のように地方に生まれ育った者にはまことに心に染み入るフレーズである。

生まれ故郷を後にして、親元を離れて勇躍(?)都会生活を新たに始めようとする学生、あるいは社会人の心情を心憎いまでに微妙に表現していると痛く感心した。

 

我が母校である慶応大学では、卒業50年の節目に当たる卒業生をその年の入学式に招待してくれるという良き慣例がある。

昭和42年(1967年)卒業の私も今年がそれに該当し、せっかくのワンチャンスなので先日参加してきた。

キャンパスの銀杏並木はほぼ当時の面影のままだったが、日吉の駅舎はすっかり

モダンに、そして雀荘が数多く並んでいた街並みは洒落たブティックやマンションに・・・、50年の歳月をまざまざと感じた。

難関を突破し、晴れの入学式を迎えた眩しいばかりの新入生を目の当たりにするにつけ、50年前のかすかな記憶を辿りつつ生々流転の心境に至り、貴重な一日だたった。

 

勢い込んでスタートした若者だが、人生は甘くない。

落ち込んだり、出口の見当たらない苦境に出会うこともあるだろう。

その一つひとつを乗り越えながら、今日の桜のように毎年の春を重ねていってもらいたいものだ。

2月下旬、事前のキャンペーンもろくに無いままに始まった「プレミアムフライデー(プレ金)」。 

労働生産性を上げて早く仕事を終わらせようという働き方改革の一環のようだが、どうも感心しないな。

月末の金曜日は、仕事を早めに切り上げて午後3時を目途に退社して、買い物なり家族サービスなりに普段とは一味違う過ごし方をしよう、がむしゃらに働いているばかりが能じゃないよ・・・・と、国からのお達し。

ここまでご親切にお世話を焼いてくれる政府のご配慮には感謝した方がいいのかも知れないが、どうも「余計なお世話」のような気がする。

 

そもそも、小生のような「半分隠居さん」みたいな立場の人間には、別に金曜だろうが月曜だろうが、いつでもプレミアムはエンジョイ出来るのだが、日本経済を支えている地方の隅々に至る中小企業でそんな呑気なことがまかり通るのかどうか?

お得意先へ及ぶであろう迷惑を顧みず「はい、今日は3時でスイマセン」と突っ張り切れば話は別だが、現在の様々な取引慣習の中では、土台無理な話、絵空事に近いことと言わざるを得ない。

 

考えてみれば、このプレ金なるもの、実施に当たって政府の腹は殆ど痛まない。

つまり国の持ち出しは一銭も無くて、消費を喚起し、労働者には「親切な顔」が

出来るわけだから気は楽なものだ。

旗振り役の経済産業省では世耕大臣が早々と2時過ぎに退庁し、都内の百貨店屋上に特設されたカーリング場でプレーしながらPRに努めていた。

安倍首相は、東京谷中の「全生庵」で座禅を組んだのち、上野公園でミニコンサートや美術館をはしごするという念入りぶり。

国民のうちのどれだけの人が、共感をもってこうした光景を見たものだろうか?

 

 

それから1ヶ月。

先週の3月31日に2回目を迎えた「プレ金」だが、早くも失速気味の気配が濃厚である。

たまたま年度末の最終日と重なったせいもあるだろうが、2月の時のような鳴り物入りではなく、盛り上がりの無いまま淡々と通り過ぎた感じである。

 

消費喚起とは言いながら賃金の上昇を伴うわけではないので、仮に多少のプレ金効果があったとしても、実態は他の日の買い物や消費の先食いだろうし、何よりもその時間を楽しむ人が居れば、片方ではそのためのサービスを提供するために働く人が必要なわけで、光と影が混在することになる。

 

 

今から40年以上も昔、ヨーロッパに駐在していたときにビックリしたのは、

日曜日になると公共機関はもちろんだがデパートとかあらゆるお店が閉店になって、買い物ひとつするにも不自由したことである。

日曜日は安息の日として、家族とゆっくり過ごす・・、この徹底ぶりには国民性の違いとかを超越して感心してしまった。

 

プレ金とかいうチマチマした旗を振るのもいいが、大きなうねりにするためにはもっと本質的なところから根こそぎ変えなければ日本人社会のライフスタイルの変化にはつながらないと思う。

一年も経つと、「プレ金・・? そういえばそんな言葉もあったかな・・」という

線香花火になってしまうのではないかと余計な心配もしている。

 

 

 

 

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